ご覧いただき、ありがとうございます!
Plofile

ささきめい -Mei Sasaki
1993.03.21
- 秋田県にかほ市生まれ
- B型
- 祖母、父、母、姉と5人家族(めんこい猫もいる)
- 秋田県にかほ市象潟町出身。ど田舎ですくすく育つ
- 小学校ではバスケ、中・高・大はソフトボールに明け暮れる
- 大学は体育大学へ。ソフトボールと飲み会に明け暮れる
- 21歳、大学3年で台湾に半年留学。あいらぶ台湾(2014/9〜2015/2)
- 22歳、大学卒業後フィットネスクラブでインストラクターとしてはたらく(2015/4〜2018/3)
- 25歳、仙台で3年働いたのち退職(2018/3)
- 軽井沢でリゾバ→館山で合宿所バイト(2018/5〜2018/9)
- 株式会社Ponnufに入社。千葉県金谷にてコワーキングコミュニティまるもの店長になる(2018/10〜)
かんたんに書くとこんな感じです。
詳しく知りたいかたは、このまま続けてお読みください。
このページの目次
いままで歩んできた人生

1993年3月21日、秋田県にかほ市に生まれました。
祖母、父、母、姉との5人家族。姉は6つ上。

高校2年生の下校中、子猫を拾う。それから猫の「めめ」も家族の仲間入り。
めめはいつまでたっても懐いてくれないけど、ときおり近寄ってくるとたまらなく愛おしいです。まったく愛想のない、たぬきみたいな猫。
とにかく走りまわった小学校時代

「THE 明るく元気な子」
先生からみたわたしは多分そんな感じだったと思います。
からだを動かすことがだいすきで、休み時間はバスケ・鬼ごっこ・縄跳び・壁倒立ばかりしていました。活発。
バスケ部では副キャプテン。強くはないチームでしたが、バスケが大好きで週3回の練習がたまらなく楽しみだったのを覚えています。
遊びは全力、勉強はあまり得意じゃない(クラスではいつも真ん中くらい)から適当。そんな子でした。
ソフトボールづけの中学校時代

中学校に入学し、ソフトボール部に入部。
女子バスケ部がなかったため、同好会でバスケ、部活でソフトボールをしていました。
部活でのポジションはピッチャー。3年では県ベスト8に。
中学校ではどんぐりみたいな頭でひたすらボールを追いかけていました。
中学校でも副キャプテン。2番目が心地いい人間です。
さらにソフトボールづけの高校時代

入学した高校はソフトボール部が強く、県で1位2位を争ういわゆる強豪校。
ソフトボール部に入って自分の力を試すべく、前期で入学しました。
青春をソフトボールにかけていましたね、ほんと。
高校ではサルみたいな頭でひたすらボールを追いかけてました。
朝は6時すぎの始発の電車で登校し、夜は9時すぎの終電(田舎だから終電がめちゃんこ早い)で帰る毎日。
厳しい部活の中で、忍耐力・メンタル強化ができたかなと思います。
部則も多く、
- 先輩には基本話しかけてはいけない
- 先輩から話しかけられたら「はい」か「いいえ」でしか答えてはいけない
- 略語を使ってはいけない(写メ→写メール、プリクラ→プリント倶楽部)
- 声のトーンを低くして話さなきゃいけない(なぜ)
- 日焼けどめを使ってはいけない(なぜ)
- 大会三日前からは毛を剃ってはいけない(なぜ)
- 先輩の前で歯を出して笑ってはいけない(なぜ)
などなど、今思えば謎だらけなものばかりでした。
他校から見たら、軍隊みたいなチームだったと思います。
でもそんな中でも、チーム一人一人が本気でインターハイを目指し、がむしゃらに日々の練習に励んでいました。2年生の時にはインターハイ出場を決め、その時の感動は今も忘れられません。
そして高校では人生で一番の感動・嬉しさと、一番の悔しさ・辛さを経験しました。(これはまたの機会に書くとします)
あの頃の努力や、我慢や、辛さが、今もいろんな壁にぶち当たった時に強さをくれます。
「あの時あんなに頑張れたじゃないか。こんなの、あの時の練習や日々に比べたら全然辛くないわい」
そう思って、いままで何度も壁を乗り越えられてきました。
今までの人生で一番、ひとつのことにがむしゃらに努力した3年間です。
「スポーツが好きだ」体育大学へ入学

大学は体育大学に進学しました。
やっぱりなにが好きかって聞かれたら「スポーツ」。だから、もっと学びたい、スポーツが好きな人たちと出会いたい、またソフトボールがしたい、そう思って進学を決めました。
大学でも4年間ソフトボール部で活動し、インカレ出場もしました。大学でのポジションはセカンド。秋田県代表としてミニ国体にも出ることができ、とてもいい経験をさせてもらいました。
初めての地元秋田から離れた生活は、たくさんの刺激をくれました。
「世の中にはこんなに面白い人たちがわんさかいるのか…!」
と衝撃を受けたのを覚えています。
授業に行って、ソフトボールして、バイトして、飲みに行って。
そんな生活でした。
台湾にハマる


大学2年の2月。台湾へ1ヶ月間、短期留学に行きました。
1ヶ月後、台湾にまんまとハマって帰って来た私は、そののち、半年間台湾に留学することを決めます。
台湾にある国立台東大学の体育学部で、アウトドアスポーツをメインに学びました。
- ダイビング
- 登山
- キャンプ
- 沢登り
- サーフィン
などを授業で体験しました。



ね、やばいでしょ、もう楽しそうでしょ。
台湾の暖かい気候の中で、温かい人たちに囲まれて、たくさんの大切な思い出ができました。
国や文化が違っても、言葉があまり通じなくても、みんなといる毎日がほんとうに楽しかった。
中国語のおもしろさも知れたので、これからさらに学んでいく予定です。(最近中国語を忘れてきている。もったいない!)
そしてこの留学で「自分がどれほど日本のことを知らないか」を思い知らされました。
フィットネスクラブに就職

大学卒業後は3年間、仙台のフィットネスクラブでインストラクターをしていました。
- トレーニング指導
- ダイエット指導
- ストレッチ指導
- ヨガレッスン
- ピラティスレッスン
- 成人、キッズスイミングのコーチ
- アクアウォークレッスン
などなど、いろんなことを経験させてもらいました。
誰かに指導することの難しさと楽しさをたくさん感じた3年間。
でも、自分の指導で変わっていくお客様をそばで見れるのは本当に幸せでした。
リゾバ、住み込みバイト生活。軽井沢・館山へ


「このままここでずっと働くの?」
「この生活をずっと続けていくの?」
「わたしのやりたいことってなんだ?」
ぐるぐる考えた結果、3年間勤めた会社をやめました。
小さい頃から運動ばかりしてきたわたしは、もっといろんなところに行ってみたい、他にもっといろんなことを経験したい、そんな好奇心を抑えられませんでした。
最初に長野県軽井沢の高級旅館へ3ヶ月間のリゾートバイト、その後千葉県館山の合宿所で2ヶ月間住み込みバイトを経験。
「初めて」に埋めつくされた生活は、楽しくて仕方がありませんでした。
いろんな人に出会って、いろんな場所に行って。
「思いきって仕事をやめて、この選択をしてよかった」
そう思いました。
自分の「無知さ」を知る

楽しい日々でしたが、その中で自分の無知さを思い知りました。
「世の中のことを何も知らない」
わたしは世間を知らなすぎました。
これまでずーっと、ひたすらスポーツをしてきました。勉強なんておもしろくないし、世の中のことなんて興味ないからニュースも見ない。
スポーツの世界からぴょんと飛び出したわたしは、ただただなんの知識もない人でした。
そして一人ではなにもできないことも痛感しました。
だから思いました。
「もっとたくさんのことを知りたい、違う世界をみたい。そして、好きな人たちと一緒に笑って生きていきたい」
ふたたび会社員に

住み込みのバイトを終え、その後株式会社Ponnufに就職。
今は千葉県の金谷という田舎にあるコワーキングコミュニティ『まるも』で店長をしています。
スポーツや運動とは無縁のベンチャー企業。
1から、いや、0から日々いろんなことを学んでいます。
この会社は自分で考えて行動できる、尊敬する人ばかり。
日々自分の無能さを思い知らされます。が、その悔しさがわたしを強くさせてくれます。
ここで成長したい。そう素直に思えます。
できないことばかりだけど、たくさんのことを日々学びながら、新しい自分の道を自分で作っている最中です。
ということで

今は会社員として、まるもの愉快な仲間たちと一緒に暮らしています。
驚くほどにおもしろい人が多いので、気になっている人はぜひ来てほしいです。

これからもやりたいことや好きなことにまっすぐに生きていきたいと思います。
なぜなら、やっぱり好きなことをしているときの自分が好きだし、一度きりの人生できるだけ悔いなく生きたいから、です。
このブログを通して、自分自身の成長につなげていきたいと思っています。
- 好きなことをして生きていく
- コツコツ努力できる人になる
- 素敵な女性になる
- 心も身体も健康に生きていく
- たくさんのことを知りながら成長していく
これらを実現すべく、日々書いて行きたいと思います。
そして、このブログで発信することで、悩んでいる人の背中を少しでも押してあげられるようになれたら嬉しいです。
